奇跡的に飛行機に乗れました❣️

(カテゴリ:趣味・生活|2018年12月27日(木)更新)

徳之島の亀徳港で別れる時に、
寂しくなるから
「船に乗ったら直ぐに帰ってね!」
って、確かに私から言ったけど、
甲板に出たら、
約束通りに見送りの家族は誰もいなかった( ;´Д`)
そして、30分遅れで出航し、
那覇港に30分遅れの19時半に到着。
一番で船から降りて、
一番乗りでタクシーに飛び乗り、
搭乗口に入ったのが19時48分、
奇跡的に20時5分発の飛行機に乗れました。
これで明日の横浜での10時半の会合に間に合います。
ふぅ〜、
おやすみなさい

1.jpg 2.jpg 3.jpg 4.jpg 5.jpg 6.jpg 7.jpg 8.jpg 9.jpg 10.jpg

故郷の徳之島の町興しを、

(カテゴリ:趣味・生活|2018年12月27日(木)更新)

遠く離れた徳之島からどうしたら出来るんだろう?
今回の田舎への帰郷で、女杜氏として活躍している高校の同級生に再開し、
「杜氏」の語源は古いやまと言葉の「刀自」であり、
酒造りを始め家事全てを司る女人を指したという事を学び、
その名残は、妻を表す「トゥジ」という言葉として
奄美の方言の中に今も残っている事に驚き、
代々その家の女子が杜氏となり蔵を守る松永の蔵には、
まさに、日本古来の酒造りの原点を見ることができ感動❣️
そこで、一つアイデアが浮かびました。
まだまだ全国で2%しか普及されていない奄美黒糖焼酎の普及を
横浜から始めたいと思います。
さて、早速、動かなきゃ〜
徳之島で母の作った豚足を食べて元気モリモリ
『善は急げ!のりみが動く!』

■奄美黒糖焼酎について
歴史的背景
 奄美の島々は、琉球王朝や薩摩藩による支配、
戦後のアメリカ軍政統治の時代を通して、三つの大きな支配機構に組み込まれ、
島民の生活はもちろんのこと、焼酎製造についても波乱の歴史がありました。
 奄美での焼酎製造の始まりは定かではありませんが、
琉球王朝時代の人的交流を考えると、16世紀の半ばには
琉球の蒸留酒が飲まれ、製造技術も伝えられていたと考えても不思議ではありません。
 1609年に奄美の島々は薩摩藩の支配下に置かれ、
その14年後に藩は焼酎の貢納を命じていることから、
この頃には既 に蒸留の技術が伝わっていたようです。

江戸時代
 奄美大島に遠島された薩摩藩士・名越左源太が記した「南島雑話」
(1850~1855)中では、シイの実や粟、
ソテツなど様々な材料を使用した島民の焼酎造りが紹介されているほか、
サトウキビを絞った汁を使う「留汁焼酎」の記述があり、
ここに黒糖焼酎の原形を見ることができます。
 ただし、この頃の黒糖は藩の専売で、庶民が勝手に扱うことは許されないものでした。製糖期には蒸留機の「コシキ」を封 印し、その期間の醸造を禁じていました。

明治時代~昭和27年
 奄美の島々では焼酎は味噌や醤油同様に家庭で造るものであり、
販売のための製造はされていませんでした。
明治の新政府により酒造の免許制が始まり
製造に届け出と免許料が必要となってからも、
様々な原料を用い自家用焼酎が造られていたと言われています。
 戦後、奄美群島はアメリカ軍政下におかれ、
本土と切り離され流通が制限されていた中、
不足する米の代わりに売りたくても売り先の無かった黒糖が
焼酎造りに多く使用されるようになり、現在の奄美黒糖焼酎につながりました。

昭和28年~
 奄美群島が日本に復帰するにあたり、
酒税法の特例通達で米こうじを使用することを条件に、
奄美群島だけに黒糖を使った焼酎製造が認められました。
現在では、奄美群島の特産品として多くの皆様に愛飲されています。
http://www.kokuchu.com/k56_toku_matunaga.html
※奄美黒糖焼酎から引用

1.jpg 2.jpg

横浜市は、

(カテゴリ:横浜市|2018年12月27日(木)更新)

SDGsの達成に向けた世界の先進都市によるネットワークとして、
来年 1 月に 設立される「SDGsリーダーシップ都市連合
(SDGs Leadership Cities Alliance)」に参加 する事に!
ニューヨーク市(米国)、ロサンゼルス市(米国)、
ヘルシンキ市(フィ ンランド)など、
世界を牽引する都市も参加する予定であり、
SDGsを通じた都市課題の解決に向けて取組を進めます。

1.jpg 2.jpg

市会議員 高橋のりみ

サイトポリシー個人情報保護方針アクセシビリティサイトマップ