『三男編』
私には三人の息子がおります。
本日は平成8年生まれの三男のお話しをさせて頂きます。
私は、今、横浜市会議員を3期務めております。
21歳で結婚して南区に暮らしていました。妊娠して当時大成建設に努めておりましたが、長男がお腹に出来た事をキッカケに辞めて専業主婦になりました。その子育て中に出来た仲間と共に子育てサークルを立ち上げ活動していました。
当時、南区の大岡川に虐待された子供の死体が上がりました。お巡りさんがウチの家にも聞き込みにきた事があり、児童虐待が話題になり始めた頃でした。私は、そんな中、子育て中の仲間共に、同じ子育てをしているお母さん達を支援したくて、南区の区役所と協働で、この協働とは協力して働くと書きますが、空き店舗を活用して横浜市から200万円の補助金を貰って子育て支援をスタートさせました。また、丁度、同じ頃に住まいの三春台っていう地域が、建築基準法が変わる昭和56年以前の建物が密集しており、横浜市から大型地震が発生した時に、倒壊し火災が起きたら炎症する課題のある地域と指定され町づくり協議会なる物が立ち上がりました。私は子供会の会長をしており、町内会長に指名されて、その街づくり協議会へと参加する事になるのですが、二級建築士の経験も活かしての活動から、いつの間にかその街づくり協議会では代表をしていました。
そんな、子育て支援や街づくり協議会をやっている中で、だんだんと街のルールを作ったり、予算を決めるのは誰だろ?と、思うようになり、「その仕事をする市会議員になりたい!」という決意が芽生えて来ました。
なかなか、息子の話しにならずに
ごめんなさい。もう少し聞いて頂けたら、、
。そんな私の活動が、昨年話題になりました「令和のおじさん、菅官房長官」の耳に入り、スガさんの推薦で南区ではない西区から自民党推薦で立候補する事になったのです。その当時の私は、ようやく夢が実現するのですから浮かれていました。ところが、現実はそんなに甘い物ではなく、5ヶ月の準備期間で、誰も私の事を知らない西区で立候補するのですから、ものの見事に落選してしまいました。
「落選すると政治家はただの人間以下」とか、言われますが、政治家になる以前の落選ですから、大変です。いきなりの浮かれ天国から奈落の底の地獄です。世の中から否定された人間になりましたから、、、。
先日、徳之島の母のお話しをしましたが、母はその時に、選挙のお手伝いで横浜に来てくれていました。
その母が、落選して奈落の底にいる私に、その頃中学三年生だった長男が私の事を、「自殺するんじゃないか?」っと、心配している!と、言われました。
正直、大ショックですね、私は、落選よりも、息子にそんな悲しい想いをさせている母親なんだ!と、、、
それからは、明るく生きなきゃと決意し、家の外に出るのも恐怖でしたが、息子達の為に頑張りました。そんな私を見て、PTAの仲間が「高橋さんにPTA会長をして欲しい!」と、依頼してくれました。嬉しかったー。私は、まだまだ世の中に必要とされているんだぁ〜、と、涙が溢れるほどでした。
それから、前向きに頑張っていたのですが、、、。やっと、ここで三男の出番です、
ある日、家族会議が開かれました。
私の主人は一度は選挙に出る事を応援してくれましたが、その時に会社の持ち株も売って選挙費用を作ってくれましたから、もう二度とあなたの趣味には付き合えない!と、大反対です。
長男も、もう二度と母親の落ち込む姿を見たくありませんから大反対、そんな時に、小学校6年生の三男が
「みんな〜。人間は夢がなきゃ生きていけないんだよ!」と、家族に訴えてくれました。
その言葉があったお陰で、今の私があります。
実は、ここから、本題なんです。
その後も、地域活動、政治活動に邁進しておりました。そんな中で、中学生になった三男の友達のお母さんから、「高橋さんちの知君は凄いね!うらやましいわぁ〜」と、声をかけられました。何の事だかわからずに質問すると、なんと、彼は成績はオール5で学年の代表委員をしていました。
もう、そのお話しを聞いて本当にビックリしました!
オール5だなんて、、。世の中にいるんだぁ〜、ビックリです。
彼は、、忙しい私に気遣って、成績表は誰にも見せずに勝手に印鑑を押して、先生に返しておりました。その三男は今では見た目はかなりなチャラ男になっていますが、私と同じ建築の道を目指して、昨年は大学のサークルで商店会を盛り上げる為に日本酒の利き酒会とか、流しソーメンのイベントとか、私の真似をして同じような事をしていますし、私の名刺やイベントのデザイン作成のお手伝いもしてくれております。
こんな、母親としては、ダメな私ですが、
今日も一日、喜んで、進んで、働きます❣️
※朝の5時〜約60名の方々がグループLINEに参加しています。
お陰様で早寝早起きの実際も出来ており、健康的な生活です。